表現すればするほど孤独な気持ちになると同時に何かが解放されていく気がする。
沈黙の共有
B:もし、あなたがこの世に産み落とされた天使だとしても死にたいですか?
A:僕が天使だとしても死にたいです。
(呼吸を止めるとわたし、海に沈んだような気持ちになるんです。嫌なこと、辛いことが楽しいことより多いこの世の中で私がいることで誰かにとっての幸福さえも奪うことにならないのか、自意識が過剰だと思われるかもしれませんが、そんなことばかりを考えて死にたくなります。)
B:私も死にたい。
(大人になる前に死にたかった。でも、生きている。その事に縋りたいです。自分が生きているというリアルに縋りたい。自分の生に正面からぶつかっていきたい。私は天使になれない。悪魔だと思う。だけど、生きたい。君は天使だ、生きているよ、悪魔になっても。)
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あなたも愛されている。
私も愛されている。
きっともっと明日は良くなるからね。
泣き虫。
泣いていてばっかじゃいけないのに。私は相当な泣き虫だ。いつまでも子どもの自分を心に持っている。時々でてくる過去の自分にいつもどうしていいのか分からずにあたふたしている。甘えたい心と自立したいという気持ちの葛藤が辛くて涙が出てくる。何処までが甘えなのだろうか。相手がいいよといういいよは果たして本当にいいのだろうか。そんな事、考えすぎるからチャンスを掴めないんだと言われる。でも、私は思うのだ。チャンスだって向こうの運の準備とそれを掴む側だってそれなりの準備が必要でそこではじめてチャンスって掴めるんじゃないだろうかと。
ここからはどうでもいい話だ。わたしは色んな存在に甘えている。でないと心が保てない。本当にどうしようもない人間だと思う。愚痴を沢山言うし文句も沢山言って傷つける。でも、そういう存在は私にとっての心の支え(執着することによって安心しているのだ)になっていると思う。だから、それを少しづつ辞めたい。本当に苦しい。甘えたい。一人でいるのが心の底から寂しいと思うし怖い。どうしようも無い感情に時々押しつぶされては虚無になって夜になって朝になったら少しだけまた生きようかなと思う。その循環をずっとしている。大切だというその存在は、好きだと思うその存在は、心配だと思う存在は私の心の支えなんだ。人間じゃなくて何かしらのモノや意思をもって私は私として存在していたい。なのに感情を持っている人間の存在がすごく自分の中では大きいものでその存在に支えられていて、だから、本当にみんなには生きていて欲しいと思う、自分にも生きていて欲しいと思う。泣きながらなんでこんなことを自分が書いているのか分からない。分からないけれど私は覚悟を決めたから大丈夫だと言い聞かせて口笛をふく。
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ねぇ、自分を自分でだめにしないんだよ。