アパートのぎぎぎって音がして開く網戸のことも今じゃとても愛おしいと思う。今、この時間が永遠に続くんじゃないかって思うくらいにゆったりとした空気の中を漂っている。
(春の空気に同じ夜を溶け込ませてひとりで回想にふけってるって言ったら、ぜひ、気持ち悪いとののしってほしい。)
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3月5日
拝啓:謙遜損がた二次元向きのだれか
今年は20歳だねって口実をつけて誕生日おめでとうのメールを送りました。君はもう寝てるよねって思いながら送信ボタンを押したメールは届いたかな。
住所を知らないから手紙を送れなかった。
(メールだと文がとても簡素になってしまうから本当はメッセージカードを送りたかった。)
そういえば今更だけど、あの頃わたしが君を太陽にして登校していた気がするんだ。わたしのほうが救われていた。退屈がどきどきに変わるような休み時間、登校前、昼休み。きらいな学校が好きになった要素、もしくは、きみのことが好きだったのかもしれない。かもしれないだから確定ではないんだな。ときみは言うかもしれない。ずっと幼なじみが好きなんだと言っていたのがフェイクだとしたら。なんて言って幼なじみは小学生の頃は好きだったけどふられてからはとっくに違う人と付き合ってた。
幼なじみのさるも元気にやっているだろうか。きみとさるとふたりの関係の様子がいまでも好きだ。昨日のことのようにまだ思い出せる記憶だから今も仲良くやっててほしい。こんなやさしいあたたかな記憶があること。春が近づくと思い出してじわじわ胸があつくなり涙目になる。この感情にできたら名前をつけて欲しい。
春愁。思い出せない本のタイトル。背伸びしたら越しちゃう身長。実はこっそり待っていたりした渡り廊下のはしっこ。手の大きさたぶんわたしのほうが大きい。一緒に見た花火。下の名前呼びが気はずかしくて覚えてないふりした。2次元のよさを享受した。身体の関わりが一切なくても心が繋がるという感覚を得た。いろんなものを得た。こぼれるくらいにもらった。人間じゃんと思う。きみもわたしもちゃんと人間じゃんって。
これからどんどん歳を重ねても昨日あったねみたいなノリで話せたらいいな。
思い出深い人やずっと友達などでいたい人の誕生日って自分にとってすごく大切な日。