可もなく不可もなく

果てしなくネガティブならしい(仮)ですが前向きです。高卒、進路未定者の生活模様。

三十分

この頃の自分の加減が現実と反して良かったので、素晴らしい毎日の中を駆け回っていたが、少々体が休んでくださいと言うので、体力を落とさない程度に動き、少し落ち着いた様子の自宅で休息をとっている。

 


今月末も来月も、当たり前のように、医療費を稼ぐ分の小遣い稼ぎ(仕事)と、ライブの予定を入れているが、本当にそれはずっとお世話になっている先輩と、周りで音楽をしている方々のサポートがあってのことで、それが無ければ精神も丈夫な体も持ち合わせていない私は色々なにかをすること、とても難しい。

 


ライブについて、まず、会場に行くまでに精神と体力が半分以上無くなる。じぶんの番、その三十分は必死、ポケットに頓服の薬を忍ばせて、だいたいは、これで死んでも悔いはないという覚悟がある。

 

マイクにじぶんの声が通るのがこわい、電源なんて一生入らなければいいと思っている、ついで、マイクの使い方、まだ、覚えなくていい。

 


脳内で自分の声か誰の声か知らない、うるせーという声に、うるせーと返すように囁いたり、呟いたり、歌ったり、叫ぶ、あの三十分間は、自分で自分以外の何もそこにいないという不思議な感覚に苛まれて心地が良い。空白がそこにはある。客席から人の息や気配を感じ、緊張感というもの、秩序を保たせていて、そのバランスの良さに安堵。あ、あって声を発するために吸い込む息の時間で感じるものが、終わりまで引き伸ばされ、自分だけ声を発した瞬間に立ち止まったまま、(三十分をやる。終わって息を吸い込めば、その、三十分は私だったんだという事実で心がいっぱいになるね。)

 


私の三十分というのはそんな感じだ。

 


他の人の三十分はどんなものだろうか。そう思って他の人の音楽を聴きながら途中途中、詩を書いてそのひとの三十分と向き合う。描写したものは後で見返すとよく分からないが、よく分からないから、こそ、その三十分は自分にとって、相手にとってよかったのではないかと思っている。

 


行ける時には全力でライブを見に行く出れそうなものはなるべく出れる時に出ておく。そうして時を刻みたい。今まで出来なかったことをできる限り自分で可能にしたい。自分に出来ることは思っているより沢山あるんだよと自分の視野を広くする。その行為で今を生きれている。もう少しこの夏を楽しみたいので頑張ってください、頑張ってますけど、自己受容しながら。その上に飛びたい。

 

 

 

P.S.電波の向

 

水槽に水が滴るような音が電話の向こうからして私の気持ちを穏やかにしている、その隣できみはきっと明日のことなんて考えないで寝ているんだ、歌うことが出来ないことに哀しみを覚えてギターをぽろぽろ弾いてみては哀しい気持ちになり、アイナ・ジ・エンドの曲を超重低音で呟いてみる、冷蔵庫の電子音に混ざる音はたしかに私の声だ、ひんやりとした床とじぶんの二の腕に全身を預けて、きっと眠れる、そう、思えばこの夜も安らかになる。