可もなく不可もなく

果てしなくネガティブならしい(仮)ですが前向きです。高卒、進路未定者の生活模様。

果てない空が僕を見下ろして暗闇に吸い込んでいく。両手を広げて溶け込むこの空気は、この暗闇は、昼間のこころのあかを落としてくれる。やはり、人間は苦手だ。透明になりたい。透明になるこの瞬間がないと僕は生きていけない。孤独にも世界にも自分にも何にも接続しない時間が、バグった脳の電磁波を緩めてくれる。皮膚も呼吸も感覚もなくなって死んだようになるのは再生のプログラム。死んだように生きたって、生きたくて生きたって、生きたくなくて生きたって、とりあえず生きているんだから生きていこうよ。私がいるじゃんと私は私にいうし、あなたに言いたい。点と点で繋がってるよ。どこにいても。

自分が想像する以上に自分のキャパ以上のことが舞い込んできてそれは周りからしたらチャンスで利益でと思うと本当に孤独がおしよせてきて仕方ない、それをその元凶の表現で障害で払拭しようとするからまた苦しくなってきて普通に生きて普通に働いての収入がない代わりと思って自分なり模索してはいるが文化なんぞ、利益なんぞ、継続なんぞと思う瞬間があって、そんなこと思う自分がいるのがいやになって沈む。でも、自分の生きている場所はそこだからそこでしっかりたちたい。

沈黙の共有

B:もし、あなたがこの世に産み落とされた天使だとしても死にたいですか?

 

A:僕が天使だとしても死にたいです。

 

(呼吸を止めるとわたし、海に沈んだような気持ちになるんです。嫌なこと、辛いことが楽しいことより多いこの世の中で私がいることで誰かにとっての幸福さえも奪うことにならないのか、自意識が過剰だと思われるかもしれませんが、そんなことばかりを考えて死にたくなります。)

 

B:私も死にたい。

       

(大人になる前に死にたかった。でも、生きている。その事に縋りたいです。自分が生きているというリアルに縋りたい。自分の生に正面からぶつかっていきたい。私は天使になれない。悪魔だと思う。だけど、生きたい。君は天使だ、生きているよ、悪魔になっても。)

泣き虫。

泣いていてばっかじゃいけないのに。私は相当な泣き虫だ。いつまでも子どもの自分を心に持っている。時々でてくる過去の自分にいつもどうしていいのか分からずにあたふたしている。甘えたい心と自立したいという気持ちの葛藤が辛くて涙が出てくる。何処までが甘えなのだろうか。相手がいいよといういいよは果たして本当にいいのだろうか。そんな事、考えすぎるからチャンスを掴めないんだと言われる。でも、私は思うのだ。チャンスだって向こうの運の準備とそれを掴む側だってそれなりの準備が必要でそこではじめてチャンスって掴めるんじゃないだろうかと。

 

ここからはどうでもいい話だ。わたしは色んな存在に甘えている。でないと心が保てない。本当にどうしようもない人間だと思う。愚痴を沢山言うし文句も沢山言って傷つける。でも、そういう存在は私にとっての心の支え(執着することによって安心しているのだ)になっていると思う。だから、それを少しづつ辞めたい。本当に苦しい。甘えたい。一人でいるのが心の底から寂しいと思うし怖い。どうしようも無い感情に時々押しつぶされては虚無になって夜になって朝になったら少しだけまた生きようかなと思う。その循環をずっとしている。大切だというその存在は、好きだと思うその存在は、心配だと思う存在は私の心の支えなんだ。人間じゃなくて何かしらのモノや意思をもって私は私として存在していたい。なのに感情を持っている人間の存在がすごく自分の中では大きいものでその存在に支えられていて、だから、本当にみんなには生きていて欲しいと思う、自分にも生きていて欲しいと思う。泣きながらなんでこんなことを自分が書いているのか分からない。分からないけれど私は覚悟を決めたから大丈夫だと言い聞かせて口笛をふく。