可もなく不可もなく

果てしなくネガティブならしい(仮)ですが前向きです。高卒、進路未定者の生活模様。

言いたいことなんてあってもなくても言え、全ては、そこからはじまる

10月に切り替わったことさえ、気づかないまま、9月が終わったことさえ気づかないまま、わたしは、いま、静寂の中にいる。そういえば、派遣の仕事を辞めてから一年になる。(ということは、一年前のこの時期に派遣の仕事をやめたということ) 時期的なのもあるのか、今年は今年で、余裕がなく、予定をこなすのも作業的になっているところがあり、全てに疑問を持ちながら、エネルギーをその回答に回すことに集中するように行動している。それはいいことなのだろうか、そう言い始めたらきりがない。

 

最近、ライブに頻繁に出ているせいか、いろんな人から活動頑張ってますねとか、言われるんだけどわたしは、別に自分のしていることが活動なんて思っていない。それが、なにかに繋がるとも思っていない。そう思ってそんなことしていない。すべての事象は自分が主体で能動的にしたいから、流されてなにかしたくない、それを、あわよくばなんて思ってみたくない。そうすることは、不誠実だと思うから、だから、わたしは、半端な気持ちで活動がんばってるねなんて言われたくない。

 

そういう暇があるのなら、自分に頑張ってるねっていって、自分自身を労ってあげてほしい。

 

わたしにがんばってるねって言って来る人たちはみんな、わたし以上にがんばってると思うから、自分をもっと労わってあげてほしい。いつもそう思っている。励ます側きく側というのはこちらが想像する以上に、がんばっている人が多いと思う。

 

私に声をかけてくれる人はなにか頑張っていて戦ってる感じがするから、こちらも頑張ってるね、おつかれちゃんだねって言ってお互いがお互いを労うということがしたい。未来に繋げるものといえば明日につながる活力のこと。それ以外は何も要らない。(また、明日なんてないかもしれないのだから、活力なんてものも必要ないのかもしれない)

 

 

ここ二年でいちばんショックな出来事があり

返信とTwitterともにログアウトぎみで

必要なものだけ何とかかえしている

(返し切れないものは代行してもらっている)

どう受け止めていいのだろうか

身内や親という概念など

家族関係で自分に影響がある事

ぜんぶ辛くてぜんぶ気持ちわるい

死んでしまいたい

受け止めきれない

 

 

11月27日、昨年出来なかった自分の生誕ライブを友だちの協力や助言がありして貰えそうなので、それまでは、今決っているものはやり通したいと思っていて、それを糧に、わたしはわたしをやっている、だから、12月からの予定は入れていないし決める気もない、もう、夏くらいからわたしはギターを弾きながら歌うことができる感じではなく、現在、詩を淡々と読むということだけをすると、思っている、キャラ設定はすべての解放だから、それはそれでいい。内心は原点回帰してるんだし、これはこれでいいと思っている。

 

 

抱きしめる、抱きしめられる、それだけでいい

あとのことも考えなくていい

そういう幸せを噛み締められる瞬間が

じぶんにもある それだけで幸せだ

他のことだって考えなくていい

わたしはすきだ あなたがすきだ

にんげん理窟がすべてじゃあ苦しいから

時々肌と肌の感触で会話してみる

 

 

あなたがすきだ すきだ すきだよって

たくさんいいたい すきだ

 

 

きれいだとされているものが

きれいだとおもえなくなること

じぶんのからださえふじゆうになる

どこにもいけないかなしみは

ながれないからいっしょにただよう

 

 

しにたいときはおもいだして

なまえをよんではないてしまう

 

 

ないてしまうのだって

かなしいからとは限らないよね

 

 

言いたいことなんてあってもなくても言え

すべてはそこからうまれる