11月10日(水)
ライブに出る予定だった。友達とその前に会う予定だった。やりたい事がたくさんあった。頑張りたかった。頑張りたかったけど、鏡を覗くともう誰にも見せられないようなわたししかいなくってダメだった。
寝る前の吐き気と同じまんま、iPhoneのポップアップには仕事の連絡だけがきていて、死にたくなった。出るはずだったライブのこと、週末いきたかった推しのイベント、いまは希死念慮でいっぱいの頭。ぜんぶため息くつく感じで辞めればよかったのに。強まる吐き気。パソコンを持ってトイレに行く。
時々くる吐き気と格闘しながら、仕事の資料に目を通す自分が何をしているのか分からなくなるくらいぼんやりしていた。自分の存在が不確かになっていくのが怖かった。
その一時間後には、病院にいた。点滴の袋の液が減る事に何かがすり減るような気がした。頭が重かった。無意識に自分を自分で叩いていた。にこにこ顔の先生の顔が哀しそうな顔になったとき、生きていて申し訳ないって思った。
昼ごはんの時間になる、診察は夕方だという、だからか、通院を手伝ってくれる先輩や看護師さんが、気晴らしに買い物行ってくればいいと言ってくれて、ふらふら泣きながら、タワレコにRYUTistを拝みに行った。拝みにいって嬉しさと反して、希死念慮に押しつぶされそうになる自分がいて救いがなかった。きょうは希望が見いだせない。
Twitterのタイムラインは今日のライブに出る友人たちが、写真をあげたりして、キラキラ、トイレに行くついでにまた鏡をみる、ダメだと思う、どうしたら大丈夫になれるのか分からなくて怖くなった。自分のすごい狭い範囲で絶望してる。そんなことでって思われるかもしれないのが怖い。そんなことでクヨクヨしてる自分がどういう顔で、友達に連絡したらいいのか分からないから、連絡はどんどん後になる。
検査結果、血液検査は良くないままで、働けないですねって、無理に希望はもとうとしなくていいから、ゆっくり治そうねって、言われた。
その後、夜は大切な人と一緒に眠りについた。くっついた時に聞こえる、鼓動と息と体温が、ぜんぶを許してくれる気がして心地よかった。
11月11日(木)
ポッキーの日らしいが、ポッキーは一口も食べなかった。代わりにクッキーを食べた。特に何かしたりはしない日だった。ダラダラしていた。とにかく生きるエネルギーがないから頑張らないをした。
夜は恋人とコンビニで買い物をしてから、式日をみた。赤い靴、赤い服、赤い傘、奇抜なメイクをした彼女と、カントク(岩井俊二が話したりしている姿めずらしい気がしたのと、映画監督が映画監督役というのが面白かった)の日々の様子が流れているのをぼーっとみてたら二時間が終わっていた。彼女が、明日はわたしの誕生日なのと毎日、カントクにいうのが不気味だと思ったけど、気持ちが分からなくはなかった。彼女(少女)の鬱々とした情景を見て、今日は何だか心地が良かったりした。感想という感想は、最後にCoccoの曲が流れてきたのが驚いた印象、2000年に少しだけ時間が戻った。この余韻で見たい映画がいくつかできた。