可もなく不可もなく

日記のようなもの。

刺青、繰り返し、自分に。

かえってこない返信を待つことを忘れてゆっくりと温泉に浸かりたいと思いながら、頭に浮かぶ友人たちの顔を思い浮かべて、ひとりサーカスナイトとむげんを脳内再生、ぬるま湯に浸かっている。

 

きょうは、眠らないまま、行かなければ行けない場所に行き、やることをやって、友人の家に帰宅した。何もかも、汚く思えて、カバンも衣類と一緒に、洗濯をしてから入るお風呂はとても清潔なように思える。月曜、子宮の中で眠りたい。

 

週末の騒がしさから隔絶された、いま、じわじわと、ここまでの出来事があたたかい記憶として胸を締め付けてくる、噛み締めて、乾きと痛み、人と関わりが増えるほど自分が透明になって、馴染めないような気がして、隔絶されたような感じがして、しんどくなってくる、適度に距離を保つエネルギーがあるのならば、もう少し他のことに使いたいと思う自分がいる、大切な人が増えることは幸せなことなんだろうか。今はただ、目をつぶって。

 

想像として、体が鉛のように重い、

呼吸するのもだるい。

 

また、目をつぶって、生きてて良かったと叫ぶ瞬間の彼女、正面からぶっかってくる彼、彼女、生きてるなと思って、愛おしいなと思って、じゃあ、自分はどうなんだ、ああ、不細工だな、格好悪いな、へへって、笑ってみたら少しだけ悪くないなと思えた。悪夢を続けない。

 

早く、長い、眠りについきたい

(しばらく、眠りについていたい)

 

きょうは、書類の提出をクリアできた、公共料金と保険料を払えた、精神保健福祉士さんと面談でちゃんとお話ができた、マライカに行って、友人が前にくれたものに様相が似ている衣服を買えた、電話にちゃんとでれた、花丸だ。

 

 

 

 

8月2日、谷崎潤一郎、刺青。

 

引用

 

当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。誰も彼も挙って美しからんと努めた揚句は、天稟の体へ絵の具を注ぎ込む迄になった。芳烈な、或いは絢爛な、線と色とがその頃の人々の肌に躍った。

 

刺青の世界観と彼の思想がここで提起されている。美醜が総てではないが、彼の中には、平均と外れた思想の形式がある。冒頭の、それはまだ人々が『愚』と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった、は、読み手への注意喚起。

 

この物語に出てくる若い女、女郎蜘蛛の刺青を背中に負った途端、悪女の風格をまとっていく。(ピアスを開けたり、何かを体にほったりする事も同様なんだろうか)(局所的な世界の中での享楽は、隔絶されたものであるが、美の絶対化は時折必要なのかもしれないと思う。)

 

美しいものへの執着と信仰、旺盛な想像力。

 

ただ取り出しただけの、短絡的なことはただの現象だ、美しくない。(そうして、省いて残るものは永久なんだろうか。)(谷崎の作品は美に奉仕している様があって、時々、読んでいる。)(彼は変態ではなくて変態のファンの位置)

 

 

自分の本当の姿がかいま見える、やけになる、励んで、素晴らしい日々、矛盾、臆病な自分、嫌だ、こんな声も、こんな顔も、こんな腕も、こんな足も、泣きたくなるくらい、見たくない、必要ない、無理だ、だけど、抗いたい、それこそが、生、価値はそれに結びついている。

 

 

 

 

 

ふらっと、他県にいる、知人を訪ねたり、宛のない、予定のない、旅に出たい、同じ顔をつきあわせてるだけじゃ、わかんないこと、たくさん。第三者の目線に近づくんだ。

 

 

 

 

自分が心地いいと思うものしか纏いたくない気持ちになってきた、そうじゃなものが全てわずらわしい、自分が美しいと思うことはそのまま貫きたい、滑稽だなと思われていい。芯の部分は支配され続けない。このくらいの気持ちのまま明日を迎えたい。死んだように生きない、言葉は本当に伝えたい人に、投げかける。