可もなく不可もなく

果てしなくネガティブならしい(仮)ですが前向きです。高卒、進路未定者の生活模様。

ひとりで聞く音楽が染みるんだ

お酒よわよわ多弁な時の日記。

 

さユりが歌う、syrup16gのセンチメンタルを聞いて泣いた。その後、飲みに行って、帰ってきてみるきーうぇいの死んじゃえを聴きながらフラバに耐えて、シャワーを浴びた後に汚れた手を聞いたらまた泣いた。

 

ひとりで感傷に浸りながら聞くと染みる音楽がある。それだけでほんとうに救われているのかもしれない。汚れた手はたぶんわたしの幻想で、今はちゃんと誰かと繋げる手になっている。と思えばいいのにフラバしてる。

 

友達に連れがいてそれが上司とかになると接待してしまうんだなこれが。それで酒を飲みながら話して、トイレではこうとしたら天使がいて、かおりさんって言うんだけど、ビックスマイルでハグしてくれた。今日一番の癒しだった。その部分だけを切り取って寝たい。

 

もうすぐ彼氏との記念日だ。何か欲しい気持ちと盛大にパーッとやりたい気持ちがあって、どうしよう。お揃いのキーホルダーとかネックレスとかあれば嬉しいんだけど、できれば一緒に探したい。お酒も飲んじゃって、美味しいものも食べたい。二人でにこにこしたい。まあ、いつもニコニコなんだけど。お風呂に入って家中の布団を集めてふかふかになってスヤスヤしたい。

 

みるきーうぇいのジジイとババアが流れている。こういう歌をたまに歌いたい。いつまでもが出来たらとてもいい人生が送れる気がする。

 

自分の根底がずっと変わらないのを直視する度に、正しいと思う道を願う自分がいる。

 

まあ、そんなところで。

 

終わりたかったが、続きがあるかも。

 

おばあちゃんにとにかく普通になりなさい、とか、まともになりなさいとか、分からなくはなくて、時々、響いてくるとだいぶ肩が重くなる。初見さんと話す勢いが初日にあって残りが死んでいるのをどうにか克服して回帰できるんだろうか。社会復帰。気力がもたない。働いていた時の覚悟ない。とにかくエネルギーがほしい。今年は活動を1回ちゃんと区切って、来年はもう少しどうにかしたい。25歳までこのままは嫌だと思う。年齢が上がるにつれて自分の中のプレッシャーに押しつぶされそうになる。誕生日来ないで欲しい。

そして季節は夏になった

そして季節は夏になった

 


止まることを知った

諦めることを知った

そして季節は夏になった

新しい服に袖を通す

青空のもと背伸びをする

 


今年もティアードワンピースの

可愛さがよく分からない

テレビや新聞に映る人々が

変わってゆくことにも気づかない

 


新しく出来た駅の校舎で

令和になっても絶対彼女をきいている

 


絶対女の子がいいな

絶対女の子がいいな

絶対女の子がいいな

絶対女の子がいいな

 


心の中で繰り返して私は女の子で

いいのだろうかとふと考える

気づけばもうきみは

お母さんになってしまった

 


きみの姿を思い出すと

わたしは涙もろくなる

 


喉がやけるような

胃がやけるような

突き動かされる衝動と

ロマンチックな全てを

 


またきみと始められるだろうか

またきみと出会えるだろうか

またきみと笑えるだろうか

またきみと歌えるだろうか

 


季節が背中を押している

 

最近のこと(中山可穂、歌田真紀について)

電車に乗る前にお茶を買うためNEWDAYSに寄ったら、店員さんに、こういう日って蒸すよね、こっちもマスク本当は外したいんだけど仕事柄~みたいに話しかけられて、気が少し緩んだ。外の空気は水分を多く含んでいて重い。私はこれから帰宅する。

 

ドアを開ければ好きな人が待っている状態と、ひとり自分の家に帰宅するのは全然違う。ひとりになったばかりの静寂を想像するといてもたってもいられなくなる。それは、常に誰かの体温があるとそれを永遠と求めてしまうからだ。

 

その行為が現実で成し遂げられない時の対策としてわたしには読書があった。最近はずっと中山可穂の小説を読んでいる。私が今読んでいる本たちは全て、女性同士の恋愛を描いた作品で、一冊目、感情教育、二冊目、マラケシュ心中、三冊目、白い薔薇の淵まで。

 

感情教育は、生育環境が悪かった女性同士が運命の出会いを果たす話であるが、片方は結婚していて...という感じで、二冊目のマラケシュ心中も、片方は既婚者という設定で、しかも好きな人の結婚相手は自分の恩師である歌人という、茨のような恋模様を描いている。

 

三冊目の白い薔薇の淵までは、雨の降る深夜の書店で、平凡なOLが新人女性作家と出会い、恋に落ちてゆく物語。初めて知る性の愉悦に溺れてゆく二人の女は激しく求めあい、傷つけあいながらも、どうしても離れることができない修羅場を何度も繰り返すという感じで読んでいて少し辛かった。

 

どれも共通しているところは女性同士の恋愛ということ、片方は既婚者で相手への想いと旦那への後ろめたさに悩んでいるというところで、わたしにもその感覚に覚えがあったので、読んでいて胸が痛かった。

 

これは恋愛で悩んでいる人や、自分の性別に違和感がある人、同性が好きな人などにぜひ読んでほしい。

 

中山可穂は孤高の全身恋愛小説家と言われるくらいには文章が濃密でかつスルスル読める文体で一度読み始めたらとまらない。とにかく熱量がすごいので、読めば作者の世界に飲み込まれて没頭出来ると思う。

 

さて、それに続いて、今度は最近それに伴って聞いている音楽についてだ。私はこれらを読んでいる時に歌田真紀という人物の曲を聞いていた。雰囲気で言えば椎名林檎のような女の子による女の子向きの歌詞、同性でもドキッとするような風貌、という感じで私はいま虜になっている。

 

ユニット時代の曲で少女融解のラブドール。ソロでは、ピエロ、あめだま、病室とギターという曲が好きだ。

 

路上やデモ、ミュージックビデオがYouTubeに沢山のっている。おそらく、私が東京に住んでいたら毎日通っていたかもしれない。

 

最近の私はこれらの風景の中で生きている。

 

感化されて、久しぶりに、今日は路上をやるので、楽しみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

日記と脳内の雑音

好きな人の笑顔が溢れている、久しぶりに見る光景に嬉しくて眺めていたら、数ヶ月ぶりの友達もきて、音食ZEROのお別れ会は行ったそばからとてもいいものだった。音色の店長と雪解けも果たした。友達になろうと向こうから言ってくれて、懐が深くて、ほんとうにありがとうと思っている。あと一ヶ月だけど色堂のほうは残るから、またぜひ行きたいしこれからは会ったらお話したい。今日は色んな人がセッションしたり歌ったりしてて、ふだん見に行けない人の歌も聞けた。それぞれの思い出が想いがそこにちゃんと見えていいなあってなった。帰りも友達とお喋りしながら帰って次の予定もできていい感じだった。

 

 

あー、かぞくというもの。おじさんに一向に連絡するのが怖くてできない。電話のボタンが押せない。できないでいると、また、おばあちゃんに怒られるどうしようってパニックになってしまう。家族とむき合わなければとは思うけど、怖くてコミニュケーションがとれない。自分という存在が家族の中にあるのも申し訳ない。今回は自分の勇気が大事な気がするけど、こわい。

 

 

精神疾患持ってる人ってそれを知らない人や家族に自分の状態をどう説明してるんだろう。

 

 

 

 

家族を探して、パートナーを作っては変えてきている気がするけど、着地地点なんてあるんだろうかと思って、周りが子どもを産む度に自分の将来が怖くなる。

 

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恋人と多分一ヶ月ちょいくらい一緒にいてしまって、夢のようだったので(ていうか記憶ないとこもある)、いまだんだんひとりの現実で泣きそう。帰ったら訪看と病院と書類とケースワーカーが待っている。がんばりたい。恋人にあわない期間は自分と女子力をあげて次のデートに供える大事な期間。料理を練習して胃袋をつかむのだ。スカジャン抱きしめて寝よう。このスカジャン形見にちょうどいい。ほしい。

 

 

2023.3.18 成宮アイコさんのこと

1.ライブとアイコさんのこと

 

ずっと天気が良かったのに雨が降った。さあ今日だって待ち構える日は大抵いつも雨。それで気分が下がってちょうどいいのかもしれないけど、今日はギターを持っているからと憂鬱になった。

 

お気に入りのブラウスを着て少し早めにライブハウスに着く。セットリストを記入している時は自分のことしか考えないから気が楽だ。そうこうしているうちにみんなも楽屋についてリハーサル。わたしはアイコさんに久しぶりと言いたかったが、楽屋では一言も話しかけられず、そのままライブになった。このライブは自分が対バンしたいと言って参加させて貰ったものなのだが、自分のライブでも自分のことで頭がいっぱいでMCでアイコさんについてのことは何も言えなかった。

 

この日は自分を含めて六組。自分の後は市ノ瀬ちゃんだった。初披露のオリジナル、それは素晴らしい人生じゃないか、無理に肯定されている感じがなくてよかった。これぞアイドル、王道路線の曲が好きなのでリピ確定になった。

 

最後、成宮アイコさん、歌舞伎町日記、ノンフィクション、裏伝説にならないで、ひかりのファンファーレ。はじめて成宮アイコを客観的に聞けた気がした。それはわたしがいま黄色の線の内側にいるからできることで、そう思ったら肩が軽くなった。

 

はじめてアイコさんの朗読を聞いた時 、心の中の重い荷物を一緒に持ってくれてる気持ちになっていた。それを体を張って全部いってくれているということがとても凄いことだと思って、画面のそとで感動して泣いた。

 

作風は音が増えるにつれて変わっていっているけど、聞いた感じ言ってることは変わっていないからまた聞きたい。

 

(MCでわたしが対バンしたいですと言った時にもう来年は無理かもって思ってたというのを聞いて、今年ライブをそれでも新潟で開いてくれてありがとうって思った。)

 

余談、成宮アイコは学生の頃の自分にとっては初めての理解者で半分神様だった。それがやっと今になってひとりの人間として見れるようになった。

 

ライブの対バン、成宮アイコが目標というか、ちゃんと人間どうしですれ違いたいという気持ちが強くて、それが実現できて本当に嬉しかった。

 

高校生のときにTwitterで声掛けてくれて、ロッツで会って泣いたとき、ここにいる人が重い荷物を背負ってここに立ってると思っただけで感情が込み上げてどうしようもなくなったけど、今は笑顔で再会ができる、そのことも喜びだ。また会いたい。高校生の頃に成宮アイコで出会ってくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アフタースクール

夜明け前、三時

 


何回開いたか分からないURL

咀嚼し続けた羅列と空白

わたしという人間がわたしから

遠ざかってゆく

 


見開き2ページ分の歌詞も

覚えられない

見開き2ページ分の空白も

持ち合わせていない

 


閉じた瞬間に世界から隔絶されるから

永遠に閉じることができないSNS

 


音楽とはなんなのか

音楽の意味すらしらない

私ってなんなのか

自分の存在自体も不明

 


そもそもいつから始めたんだっけ

そもそもいつから始まったんだっけ

歌詞のはじめはだいたい問いかけになる

(それ自分に問いかけてるんだよ)

答えはいつも途中から浮かんでくる

(考えながら言葉並べてるんじゃないよ)

 


雲行きが怪しくなるこころ

物質的、叩いた窓のそとは

雨が降っている

 


傘をさして歩いている人々は

どこに帰る場所があるのだろうか

どこへ向かって歩いているのだろうか

わたしはどこへ向かえばいいのだろうか

 


拝啓わたし

この頃、伴奏以外では

めっきりギターを

弾けなくなってしまいました

伴奏すらも、時によれば

難しいかもしれません

 


喜びとは、あの頃のように

好奇心と期待まじりの中で

抗うように自分を主張しつづけるもの

うまれるものだと思います

この頃はすこし寂しいです

(わたしは寂しいです)

 


わたしは受け取ってきたものを

ひとつづつ並べてゆきます

そしてそれらをゆっくり眺めます

ゆっくりゆっくり咀嚼します

 


取り皿にある受け入れられた

それについて

 


それは何であるかよりも

何であったかよりも

それ以前にそれはたしかに

私の中で生きていたから

 


きっと、これは、

これからも、そのように

あり続けるんだろう

 


光がみえた

それは、一瞬で

光はみえた

それは、希望で

 


光が消えてしまったとしても

その輝きを覚えて手を伸ばせば

わたしはあなたの手を掴めるだろうか

わたしはもう一度あなたに会えるだろうか

 


泣いているのは自分でした

ひとりぼっちだったのはわたしでした

あなたも泣いているのかもしれないけれど

わたしもひとりぼっちで泣いていました

 


あなたのいった孤独というもの

わたしにも覚えがあります

にんげんはひとり

どこまでいってもひとり

 


寄り添うとはエゴである

寄り添うとは相手の

許容の範囲内のなかに

受け入れてもらってはじめて出来る

 


段飛ばしでは辿り着けない

ときが痛みを癒すなら

ときが想いを許すだろうか

ときがわたしを許せるだろうか

 


一向に進まない現状に片足ついて

泣きべそかいて目をつぶる

なにを目指していますか

なにになりたいですか

 


否定されたくない

なるべくなにも思われたくない

知られたくない

私のことなんてなにも分からなくていい

 


殴り書きした私の後悔、誰かの侮蔑

世界がひとつであるのなら

わたしの愛もひとつでいい

傷だらけあなたの皮膚を剥ぎ取って

わたしのきれいな部分と交換したい

 


引っ掻いて手に入れたものは

ただの紙切れなんかじゃない

つまづき 転げて

ひとりになったフリしても

 


目の前のもの壊しても

積み上げてきたものはかわらない

わたしは、わたしは、信じて、進め

 


えがいて、えがいて、未来へ

私のノートの切れ端は(2022)

 


目を瞑れば確かにあった記憶が、今じゃ着れなくなった服になったけど、今はいまで着れる服がちゃんとある、そのことをわたしは知っている。期待はきっと大人になりたくないだけの材料で、わたしはまだなんて言ってられないくらい視界だけ広くなって、背伸びした大人のような顔をしないと生きていけないような気がしている。わたしはわたしの寂しさや悲しみの母である、思い浮かべる言葉仕草ひとつだって全部じぶんの言葉。わたしはどこに向かうのだろうか、確かめるように、私のノートの切れ端は、日の当たらない湿気った雲が広がる島の空、ひとり部屋の隅でだれのあかりも知らず息をする。窓を開ければ出会う人の優しさが身に染みて、醜さが酷く汚いものにみえるだろうに。あんなにかわいい子どもも人間であることには変わらず、悲しくなってくる、生まれてから死ぬまで人間は子どもの姿で、形だけが変わって、表情はなにも変わらない、生まれた時の姿が美しければ満足に生きていけるのだろうか、それが醜かったらどう生きていけばいいのだろうか、窓を開ければ、わたしはわたしの指先で未来を描く、わたしのノートの切れ端はどこにでも繋がっている、窓は開かれた。