可もなく不可もなく

果てしなくネガティブならしい(仮)ですが前向きです。高卒、進路未定者の生活模様。

絶対女の子がいいななんて思ってないし今年もティアードワンピースの可愛さがよく分からない。

絶対女の子がいいななんて思ってないし、今年もティアードワンピースの可愛さがよく分からない。わたしは今年の夏も何回も死んだ。

 

先々週の日曜にライブをやって、その後、持病の症状で死んでしまって、自分で出たいって言った浜ライブけってしまい、kouさんほんとにごめんなさいって感じで、きょうは流石にまた休んだらずっとライブ出来なくなってしまうって危機感でライブした。いい意味でちゃんと死ねた。先週からたぶん起きてる時間より寝ている時間のほうが長くって、今日だって23時に寝て13時くらいに起きるって感じで、わたしはまた寝太郎になった。

 

通り過ぎていく事象のひとつかもしれないが通り過ぎていけるだけのエネルギーがないと通り過ぎることも出来ないから、ああ、あんなこと、こんなことって言えるのはまだいいなあって思う。

 

そういえば、最近のハマりはチェルシーにいるロケピンのリモート店長で父と言うよりはパパなところなあっちゃんが結構すき。(自分で手放さなければ、居場所ってなにか起きない限り居れるんだと思うんだけど、帰り続けないと行きにくくなるから適度に会おうと思っている。わりと。)

 

その他は、なんだろうか、ずっとこんな関係が続けばいいなって思う関係がいくつかあって、それが変わりなくそのまま続けばいいなって事なんだけど、性別が違うと仲良くなりすぎたら、親友になるか付き合うかの二択しかなくって、そういうのが内心けっこうしんどい。性別で意識してしまうと相手のことが上手く見れなくなってしまう。どうしたらいいんだろって話すか切るしかないんだけど、上手く出来てない。どうしても友達を続けたいきもちがあってしまう。でも、現実は相手からしたら自分は女の子でしかなくて、というがほんと、そういうところが自分の曲で2015年の夏は終わらないという曲の、絶対女の子がいいなって歌詞の気持ちなんだけど。わたしは女の子であるという自縛から逃れられない苦しさみたいなのがある。なんかりゅうちぇるが離婚して男である旦那であるみたいな意識から逃れたみたいなの、それがほんとに他の意味がなくてそのままの意味なら分かるかもしれない。(子どものこととか世間体とかぺこちゃんに対する責任とかは置いといてる) わたしは完全に自分が女の子であるという事実だけで、それが一番の価値みたいに扱われるような付き合いができるかといったら自信が無い。だから、変わりたくない。今のままがいいって、まあ、この話はこの辺りにしたい。

 

いま、さっきコンビニでパスタ自分の分も買っておけば良かったとか思いながら、冷蔵庫で冷やしてあるなし食べようかなとか、秋は入口、九月も駆け抜けたい。